人の噂では、孔乙己は書物をたくさん読んだ人だが、学校に入りそこない、無職で暮しているうちにだんだん貧乏して、乞食になりかかったが、幸いに手すじがよく字が旨く書けたので、あちこちで書物の浄写を頼まれ、飯の種にありつくことが出来た。ところが彼には一つの悪い癖があって、酒が大好きで飲みだすと怠け出し、注文主も書物も紙も何もかも、たちまちの中(うち)に無くしてしまう。こういうことがたびたびあって、終(しまい)には字を書いてくれという人さえ無くなった。そこで日々の暮しにも差支え、ある場合には盗みをしないではいられなくなった。けれどもこの店では、彼は誰よりも品行が正しく、かつて一度も借り倒したことがない。現金のない時には黒板の上に暫時書き附けてあることもあるが、一月経たぬうちにキレイに払いを済ませて、黒板の上から孔乙己の名前を拭き消されてしまうのが常であった。
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