こういう風に孔乙己はいつも人を愉快ならしめているが、自分は決してそうあろうはずがない。ほかの人だったらどうだろう。こうしていられるか。 ある日のことである。おおかた中秋節の二三日前だったろうと思う。番頭さんはぶらりぶらりと帳〆めに掛り、黒板を取卸して、たちまち大声を出した。 「孔乙己はしばらく出て来ないが、まだ十九銭残っているよ」 そこでわたしもしばらく彼の見えないことを思い出したが、側(そば)に酒飲んでいる人が 「あいつは来るはずがない。腿の骨をぶっ挫いちゃったんだ」 「ええ、何だと」 「相変らず泥棒していたんだ。今度はあいつも眼が眩んだね。ところもあろうに丁挙人(ていきょじん)の家(うち)に入ったんだから、な。あすこの品物が盗み出せると思うか」 「そうしてどうした」 「どうしたッて? 謝罪状を書くより外(ほか)はあるめえ。書いたあとで叩かれ、夜中まで叩かれどおしで、もう一度叩かれたら、ポキリと言って腿の骨が折れてしまった」 「それからどうした」 「それから腿が折れたんだ」 「折れてからどうした」 「どうしたか解るものか。たぶん死んだろう」 番頭はその上訊こうともせず、 のらりくらりと彼の帳合を続けていた。
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